友達と喧嘩した日 ― 親として思うこと

こんにちは、二児の父ぽよみです。

先日、息子が「今日、〇〇と喧嘩した」と話してくれました。
いつも一緒に遊んでいる友達なので、少し驚きましたが、息子の話を聞いていると、どうやら些細なことがきっかけだったようです。
「ドッチボールで当たった/当たってない」とか、「ちょっとした言葉の行き違い」とか。
子どもたちの世界ではよくあることです。

翌日には、何事もなかったようにまた一緒に笑い合って遊んでいる姿を見ることが多いので、あまり大ごとには考えないようにしています。
けれど、親の立場からすると、やっぱり少し気になってしまうものです。
「本当に仲直りできたのかな」「無理して一緒にいるんじゃないかな」と、つい考えてしまいます。

 

無理して仲良くしなくてもいい

正直に言うと、私は友達が多いタイプではありません。
気の合う人とは自然に一緒にいられるけれど、気が合わない人と無理して関わるのはとても疲れてしまう。
だから息子にも、「誰とでも仲良くしなさい」とは言っていません。
「相手を傷つけたり意地悪をしたりしないこと」は大事だけれど、「仲良くしなければいけない」わけではないと思っています。

小学校という場所は、たまたま同じ地域に住んでいる子が集まっているだけ。
価値観も性格も違う子たちが一緒に過ごしているので、全員と気が合う方が不思議です。
大人だって職場で全員と仲良くできるわけではありません。
だから、気の合う友達が一人でもいれば、それで十分だと思っています。

 

喧嘩から学べることもある

喧嘩というとマイナスの出来事のように思えますが、実は子どもにとっては大切な経験です。
思いをぶつけて、相手の反応を見て、どうすればうまくいくのかを学んでいく。
「言いすぎたな」「あの言い方は嫌だったな」という実感の積み重ねが、少しずつ人との距離感を作っていくのだと思います。

もちろん、親としては「できれば喧嘩なんてしないで仲良く遊んでほしい」と思ってしまいます。
でも、実際には喧嘩のない人間関係なんてありません。
むしろ、喧嘩を経て関係が深まることもあります。
子どもたちなりに感情をぶつけ合って、次の日にまた笑顔で遊べるなら、それは立派な成長です。

 

子どもの世界を尊重する

つい「何があったの?」「どっちが悪いの?」と聞いてしまいそうになりますが、
最近はあまり深く聞かないようにしています。
子どもの世界には、子ども同士のバランスや暗黙のルールがあって、大人が口を出しすぎると、かえってややこしくなってしまうこともあるからです。

ただ、「話したい気分のときには、いつでも聞くよ」とだけ伝えておきます。
すると息子も、時々ぽつりと話してくれます。
「今日は仲直りしたよ」とか、「やっぱり〇〇と遊ぶと楽しい」とか。
そんな言葉を聞くと、ほっとします。

 

友達との関係を“自分で選べる力”を育てたい

これから先、学校生活の中で息子はたくさんの人と出会っていくでしょう。
気の合う友達もいれば、少し苦手な人もいる。
そのなかで「誰とどう関わるか」を自分で考え、選んでいく力を持ってほしいと思います。

友達が多いことが偉いわけでもないし、いつも一緒にいることが友情の証でもありません。
「この人とは一緒にいて心地いいな」と思える関係を、自分で見つけていくことが何より大事。
そのためには、喧嘩も、すれ違いも、すべてが経験なのだと思います。

 

親にできることは「見守ること」

親としてできることは、意外と少ないのかもしれません。
でも、子どもが安心して気持ちを話せる場所を作ってあげること、
そしてどんな関係になっても「あなたは大丈夫」と伝え続けることは、
家庭にしかできないサポートだと思っています。

喧嘩した日も、仲直りした日も、笑って帰ってくる日も。
その全部が、子どもが少しずつ社会を生きていくための練習。
親としてはただ、そっと見守っていきたい。
そんなふうに感じた出来事でした。