こんにちは、二児の父ぽよみです。
夜、公園遊びから帰ってくると、我が家ではいつもの流れがあります。
手を洗って、お風呂に入って、晩ごはんを食べて、少し遊んでから就寝。
この一連のリズムが整うと、夜も落ち着き、翌朝も気持ちよくスタートできる——そんな理想のサイクルを親としてはつくりたいと思っています。
ところが、最近その流れを止めてしまう“出来事”が増えました。
それは、娘の「読書タイム」です。
「ごはんより本」な年長児
娘は本を読むのが好きです。
図書館で借りてくる絵本はもちろん、習い事先に置いてある本にも強い興味を示します。
先日も、習い事先から借りてきた本が気になって仕方がない様子。
家に帰ると、いつものようにお風呂→ご飯の流れに入りたい私。
でも、娘はタオルで髪を拭きながら、そのまま本を手に取ってページを開き始めました。
髪を乾かした後、「ご飯だよー」と声をかけても反応がありません。
もう、完全に“本の世界”に入っています。
「今はご飯の時間!」と言いたくなる気持ち
正直、最初は少しイライラしていました。
「お風呂のあとにご飯を食べる」というリズムを崩すと、寝る時間が遅くなってしまう。
「生活リズムを崩さないこと」も親として大切にしてきた習慣です。
それに、せっかく用意したご飯が冷めていくのも、少し残念。
「今読まなくても、後で読めばいいじゃない」と言いたくなる気持ちもありました。
でも、そんな私の思考をよそに、娘はページをめくる手を止めません。
その姿を見て、ふと考えました。
――この集中を、今止めていいのだろうか?
読書の「没入」は、貴重な体験
子どもの集中は、なかなかコントロールできるものではありません。
遊びや工作に熱中する瞬間もそうですが、読書に深く入り込んでいるときの集中力は格別です。
物語の世界を頭の中で想像し、言葉の意味を考え、ページをめくるたびに感情を動かしている。
これはまさに、心と頭をフル稼働させている時間です。
子ども時代の読書は人生に大きな影響を与えます。
特に年長の頃は、言葉の理解が深まり、物語の“意味”を自分なりに解釈できるようになる時期。
娘の集中を止めてしまうのは、もしかしたらその成長の芽を摘んでしまうことになるのかもしれません。
最後まで読み切ったあとの満足げな顔
結局その日、娘は本を最後まで読み切るまで食卓に来ませんでした。
私は「ご飯、冷めちゃうよ」と言いかけた言葉を飲み込み、ただ黙って見守りました。
そして読み終わった娘は、私達に本の内容を教えてくれました。
そのあと、冷めたご飯を温め直して一緒に食べました。
寝る時間はいつもより少し遅くなりましたが、娘の表情は穏やかで、心が満たされたように見えました。
きっと、あの読書の時間が娘にとって「心の栄養」になったのだと思います。
「生活のリズム」と「心の成長」のバランス
もちろん、毎晩のように「本を読みたいからご飯は後で」となると、生活リズムが崩れてしまいます。
けれども、「今日だけは見守ろう」と思える日があるのも大切だと思うのです。
親として守りたいリズムはある。
でも、子どもの“今”の集中や感動を優先する日があってもいい。
大人の都合で区切りをつけてしまうよりも、「読書を最後まで見届けたあとに話を聞く」ことで、親子の心が近づくこともあります。
実際、娘と本の感想を話し合った時間は、いつもより穏やかで温かい時間になりました。
「ほおっておく」ことも、立派な関わり方
子育てをしていると、「どこまで見守るべきか」「どこから介入すべきか」の線引きに迷うことが多いですよね。
特に“集中している姿”を目の前にすると、その境界が一層あいまいになります。
でも最近は、「ほおっておく」ことも大切な関わり方だと感じるようになりました。
静かに見守ることで、子ども自身が自分の世界を広げていく。
それは決して放任ではなく、信頼の表れでもあると思うのです。
さいごに
あの日、娘の読書を途中で止めなかったことで、寝る時間は少し遅れました。
でも、その夜の満足そうな表情を見て、私は「これでよかった」と思いました。
日常の中で、「今やるべきこと」と「今しかできないこと」の間で揺れる瞬間。
親としての正解は一つではないけれど、子どもの心が動いているときは、そっと寄り添う。
その選択が、きっと子どもにとっても親にとっても、温かな思い出になるのだと思います。