子どもが研究者を目指したら、私は応援できるだろうか

こんにちは、二児の父ぽよみです。

先日、「大阪大学の坂口志文さん」がノーベル賞を受賞したというニュースを目にしました。
日本の研究者が世界的に評価されたことは、本当に素晴らしいことだと思います。
ただ、その喜ばしいニュースの背景にある「長い年月」と「地道な努力」を思うと、私は複雑な気持ちにもなりました。

坂口さんの研究は、成果として認められるまでに数十年という歳月を要したそうです。
その間には、きっと資金面の苦労や、理解を得られない孤独な時間もあったはずです。
そしてふと、もし自分の子どもが「生涯をかけて研究をしたい」と言ったら、私は心からその道を応援できるだろうか。そんな問いが浮かびました。

 

研究者という道の現実

私は大学院の修士課程を修了し、就職してからも数年間は研究職として働いていました。
その経験の中で強く感じたのは、研究予算を得るには「短期間で成果を出せるテーマ」が優先されがちだということです。
時間とお金をかけても成果が出るか分からない「基礎研究」には、なかなか大きな予算が付きません。
国や企業の予算分配も、目に見える成果・実用化・収益性が重視される傾向があります。
そのため、真に新しい発見を目指す研究ほど、継続が難しいという現実があると思っています。

他の先進国に比べても、日本では基礎研究への援助が少ないと感じます。
短期的な評価を重視する風潮の中で、長期的なビジョンを持つ研究者が生き残るのは本当に大変です。
最近では、研究を続けるために自ら会社を立ち上げ、投資を募る研究者も増えています。
それは新しい可能性でもありますが、同時に「純粋な探究心」だけでは生き残れない時代になっているとも言えるでしょう。

 

それでも研究したいという子どもを前にして

そんな現実を知ったうえで、もし自分の子どもが「研究者になりたい」と言ったら──。
私はどう答えるだろう、と考えてしまいます。

心のどこかでは「夢を応援してあげたい」と思います。
子どもが本気で取り組みたいことを見つけたなら、それはかけがえのないことです。
しかし同時に、親としての現実的な心配も浮かびます。

  • 研究で本当に生活していけるのだろうか
  • 何十年も成果が出ない時期を支えられるだろうか
  • 途中で挫折したとき、子どもは自分を責めてしまわないだろうか

たぶん私は、そうした不安を拭いきれずに、「もっと安定した職業もあるよ」と言ってしまうのだと思います。
それは応援していないわけではなく、ただ「守りたい」気持ちが先に出てしまうのです。
けれど、その“守る”という行為が、もしかすると子どもの未来の可能性を狭めてしまうかもしれない。
この矛盾に、どう折り合いをつければいいのか分からないまま、私は考え続けています。

 

夢を信じることの難しさ

「好きなことをやりなさい」「自分の道を生きなさい」と言うのは簡単です。
けれど、それを実際に支え続けることは、とても難しい。
特に研究のように、結果がいつ出るか分からない道では、親も覚悟が求められます。

子どもが失敗や挫折に直面したとき、親が「それでも続けなさい」と言えるだろうか。
あるいは、「ここまで頑張ったなら、違う道を選んでもいい」と言えるのだろうか。
どちらの言葉も、深い愛情と勇気を必要とします。

坂口さんのように、信念を貫いた末に評価される人もいる。
しかし、それはほんの一握りの研究者であり、大多数の研究者は、日の当たらない場所で静かに努力を続けている。
そんな世界に「飛び込みたい」と言う我が子を、私は心から応援できるだろうか──。
今の私には、まだ自信がありません。

 

親としての葛藤とこれからの自分

このニュースを通して思ったのは、「応援するかどうか」を今すぐ決める必要はないのかもしれない、ということです。
ただ大切なのは、子どもの夢を頭ごなしに否定しないこと
そして、私自身が「安定とは何か」「幸せとは何か」を問い直すこと。

もし子どもが研究に興味を持ったら、一緒に調べたり、研究者の生き方を知ったりしてみたい。
そうやって理解を深める中で、応援する覚悟が少しずつ育つのかもしれません。

坂口さんのノーベル賞受賞は、社会的にも大きな出来事でした。
けれど私にとっては、「子どもの未来とどう向き合うか」を考えるきっかけでもありました。
研究に生涯をかけるというのは、困難な道のりです。
それでもその道を選ぶ人たちがいるからこそ、世界は少しずつ前に進んでいる。

もしいつか、我が子がその一歩を踏み出したいと言ったとき。
私はその気持ちをすぐには受け止められないかもしれません。
けれど、心のどこかで「どうか、その情熱を失わないで」と願っている自分がいる。

親としての葛藤を抱えながら、私もまた、子どもの未来を信じる練習をしているのだと思います。